Xで流れてきた1分45秒のクリップが、しばらく頭から離れませんでした。投稿のフックは「NISAやiDeCoは後回しでいい」です。ただ、中身は金融商品の話ではありませんでした。年代ごとに、一番効く自己投資の先が違う、という話です。
話しているのは西野亮廣さんです。文章版は2024年7月9日の本人のブログにあります。
聞きながら、自分の10代から40代を指で数えていました。狙って合わせたわけではないのに、20代でやっていたことも、30代で変えたことも、この並びでだいたい説明できてしまいます。せっかくなので、自分の実感を並べて答え合わせをしておきます。
世代別の武器
クリップと文章版で言い方が少し違うので、両方を並べます。
| 年代 | クリップ | 文章版 |
|---|---|---|
| 10代 | 友達 | 友達 |
| 20代 | 量 | 体力 |
| 30代 | 質 | 技術 |
| 40代 | コミュニケーション | 人脈 |
| 50代 | 健康 | 健康 |
| 60代 | 愛嬌 | 愛嬌 |
骨子はこうです。10代はどの友達に囲まれるか。20代は技術も知識も足りないので、量でカバーするしかない。30代は、その量をこなした人だけが参加できる質の勝負になる。40代は作る力を伸ばすより、どこに届けるかへ切り替える時期。50代は、それまで勝ち上がっても健康がなければ走りきれない。60代は愛嬌で、若い世代の待ち合わせ場所になれるかどうか。
量より質だ、という言い分を、文章版は寝言だと切っています。AIがあるからもう量の時代ではない、という反論には、堀江貴文さんの「AI時代を制するのはAIを触った量」を当てています。順序の話をしているのが、この整理の肝だと思いました。
10代は、友達と何かするのがメインだった
いま思い返すと、10代の中心にいたのは友達でした。何を身につけたかはほとんど覚えていません。覚えているのは、誰と一緒に何をやったかのほうです。目的があって集まったわけでもなく、とにかく楽しんでいた気がします。
武器という言い方をされると大げさに聞こえますが、あの時期に手元にあったものは、結局それしかありませんでした。
20代は、量にしかならなかった
20代は、本当に量でした。ただ、意識して量を選んだわけではありません。現場に自分ひとりしかいない時期があって、徹夜で帰らない日がほとんどでした。誰かに割り振る相手がいないので、必然的に全部が自分を通ります。結果として量になった、という順番です。
その量が経験になったのは間違いありません。同時に、身体を壊しました。ここは今でも取り返せていない部分です。
だから20代は問答無用で量だ、と言い切られると、半分うなずいて、半分身構えます。身構えるのは身体のことだけです。量そのものを取り消したいとは、いまでも思っていません。
20代の絶対量が、30代と40代を作っている
ここは、聞いた話に納得したというより、自分の結論に近いです。20代でこなした絶対量が、そのまま次の世代の質を決めると思っています。量が多いほど、30代で出せる質が変わります。変わり方は仕事の中身とは限りません。転職という形かもしれませんし、まったく新しい仕事という形かもしれません。
いま自分の手元にあるのは、できることの範囲と、経験からの推測です。この案件はどこで詰まるか、この規模なら何日かかるか、この判断は後で効いてくるか。どれも、自分が通った量からしか出てきません。人から聞いた話では手に入らない種類のものです。
苦労という点でも、熱いお湯に入っていれば、多少のメンタルは一緒に作られると思っています。昭和っぽい物言いなのは自覚しています。根性で解決する話にするつもりもありません。それでも、経験が人を育てるという言い方は、あながち間違っていないと思っています。
自分は何ごとも経験だと思って、あまり断らずに受けてきました。当然、オーバーして収拾がつかなくなったこともあります。ただ、それも無駄ではありませんでした。いま自分がこなせる量はここまで、という線が引けたのは、その回のおかげです。線がどこにあるかは、越えてみないとわかりません。
30代は、壊したあとに質へ寄せた
30代で質を意識するようになったのは、綺麗な成長曲線を描いたからではありません。同じ働き方を続けられなくなったからです。量で押し切れないなら、一回あたりの精度を上げるしかありません。
結果としては、西野さんの言う順序どおりでした。20代の量がなければ、質で勝負するという発想自体が出てこなかったと思います。何が自分の得意な形なのかも、量をこなす前には見えていませんでした。
40代は、コードの良し悪しよりも決めるための会話に投資している
そして40代です。ここでAIの波が来ました。
いま自分が時間を割いているのは、コードの良し悪しではありません。意思決定のためのコミュニケーションと、人脈のほうです。チームや組織をどう効率的に回すかに興味が移っていて、それを実際に動かすには、コミュニケーションと根回しに行き着きます。投資先が、作る力から届ける力に移っている感覚があります。
西野さんはこれを「貿易」と呼んでいて、どこに売るかというゲームだと言っています。エンジニアの言葉に置き換えると、実装の腕を上げ続けることではなく、誰とどの順で話して物事を進めるか、になります。
Staff+ が意図的に文化を作り直す話を読んだときも、職種の境界がなくなる話を書いたときも、行き着いた先は同じでした。個人が出せる量はAIで伸びます。伸びないのは、共有ゴールを置き直したり、誰かに動いてもらったりする部分です。40代の武器がコミュニケーションだ、という言い方は、自分の実感とかなり近いです。
AIが来たのが40代だった、ということ
ここが今回いちばん考えたところです。
自分は、10代で友達、20代で量、30代で質、というルートを通ったあとにAIが来ました。正式なルートで世代を生きてきた、という感じがしています。だからAIを、届ける力を増幅する道具として受け取れています。順番が違えば、たぶん別の受け取り方になっていました。
一方で、いまの20代はAIネイティブ世代です。この世代にとっての量は、自分がやったような徹夜の量ではありません。AIを駆使して数をこなし、失敗して、経験を積み直す量だと思います。違う形で量をこなせるなら、違う30代と40代を迎えられるはずです。
新人教育の距離感について書いたときにも思いましたが、上の世代がやった量をそのまま再現させる必要はないと思っています。武器の順序は同じでも、量の中身は世代ごとに入れ替わります。
50代の健康は、もう前借りしている
50代は健康、というところで止まりました。
文章版には、一度も倒れてこなかった人ほど耐性がなく、加齢で崩れたときに立て直しにくい、という話が出てきます。自分はその逆で、20代ですでに健康を崩しています。50代の武器を、前借りして使ってしまった形です。
だからここだけは、答え合わせではなく宿題として残ります。生きるために健康をつくる、という優先順位を、いまのうちに戻しておきたいと思っています。40代の武器を磨いても、50代を走れる身体がなければ使い切れません。
まとめ
- 10代は友達、20代は量、30代は質、40代はコミュニケーション、50代は健康、60代は愛嬌。西野亮廣さんの整理
- 自分の10代から30代は、意識せずこの順番どおりだった。20代の量は、ひとりで回していた結果として量になった
- 20代の絶対量が、そのまま30代と40代の質を決めていると思う。できることの範囲と、経験からの推測は、自分が通った量からしか出てこない
- 断らずに受けてオーバーした回も、こなせる量の線がどこにあるかを知る経験として残っている
- 30代の質は、20代の量と、身体を壊した経験の両方から来ている
- 40代のいまは、コードの良し悪しよりも、意思決定のための会話と人脈に投資が寄っている
- AIが来たのが40代だったので、届ける力を増幅する道具として受け取れている。AIネイティブ世代の20代は、AIを使った別の形の量をこなす番だと思う
- 50代の武器である健康だけは、すでに前借りしている。ここだけは答え合わせではなく宿題
年代の武器とずれた努力は、熱心にやるほど損になりやすい、という話でもあります。自分の場合、いま伸ばすべきものはたぶん見えています。見えていないふりをしているのは、健康のほうです。
参考