Go back

「少し上の先輩」が面倒を見る — 新人教育に必要な距離感

Posted on:

今朝、夢のなかで教育の話をしていました。自分が何か語っている場面で、目が覚めました。気になっていたテーマだったらしく、起き抜けのまま書き始めています。

頭に残っていたのが、「以心伝心」という言葉でした。言わなくてもわかる、空気で通じる、というニュアンスです。ただ、それで記事の軸にするのは違う気がしました。自分が気になっているのは、通じ方そのものより、誰が新人のそばにいるかのほうです。

最近気になっているのは、少し上の先輩が面倒を見るという風習です。年齢も業界歴も近い人に育ててもらう構図になります。遠すぎてもだめですし、近すぎて逃げ場がなくてもつらいです。その距離感について、個人的な経験とあわせて書いてみます。


「少し上の先輩」が面倒を見る風習

日本の現場、とくにエンジニアリングの現場では、新人が入ってくると、少し年上や少し業界歴の長い人がついて教える、という流れが多い気がします。公式のメンター制度があるところもあれば、自然発生的にそうなるところもあります。

自分も新人が面倒を見てもらう側でしたし、後になって先輩側に回ったこともあります。振り返ると、この「少し上」という距離が、意外と大事だった気がしています。

ベテランに直接ついてもらうのは贅沢ですし、情報量も多いです。ただ、年や業界歴が離れすぎていると、何をしているのか、なぜその判断なのかが、新人側から追いきれないことが多くなります。前提が違いすぎるからです。


離れすぎてもだめ。世代が違うと、話すべきことがわからない

問題は、年次が近ければ必ずうまくいく、という話でもないことです。逆に、離れすぎていてもだめです。

世代が違うと、そもそもお互い何を話せばいいのかがわからない場面があります。業務の話はできます。でも、困っていることの粒度が違います。先輩は「全体の設計」の話をしていて、新人は「このエラーメッセージの意味」で止まっている、ということが起きます。

年上にスムーズにコミュニケーションがとれる人なら、まだうまくいくかもしれません。ただ、だいたいの新人はそれが難しいと思います。自分もそうだった記憶があります。最初は質問するタイミングすらわかりません。何を聞けば失礼にならないか、考えすぎて黙ってしまいます。

今になって思うのは、「普通に話せる」というのは、能力というより経験からくる自信で成り立っている、ということです。いろいろ経験して、失敗もして、自分の言葉で説明できるようになる。その積み重ねの先に、年上とも自然に会話できる状態があります。最初からそれを求めるのは、順序が違います。


プログラミングは、先輩の動きを見て学んでいく

プログラミングの勉強も、教科書だけでは足りないことが多いです。現場では、先輩の行動やコードの書きっぷりを見て学んでいくものだと思っています。

たとえば、こんなところを見ています。

  • 先輩がどんな PR を書いているか
  • レビューでどんなポイントを押さえているか
  • チケットの切り方、コメントの書き方、名前の付け方

業務の理解は、そうした日常の観察の積み重ねで深まっていく感じがあります。言葉で「こういう設計にしろ」と説明されるより、実際の差分を見て「この人はここを気にするんだな」と掴む方が、身体に残ります。

自分の記憶だと、先輩に言われたのはコードの作法そのものより、「このお客様は、ここを気にするから」 という属人っぽい話だった気がします。今になって振り返ると、「確かに、このお客さんだったらそこは気にするな」とわかります。ただ、初見ではなかなかわかりません。会っていませんし、仕事もしていません。先方の事情も、過去のトラブルも、まだ自分のなかにないからです。

だから、言われたことをただなぞる形でメモを取るだけでは足りません。そういう情報こそ、片隅に置いておきます。必要なときに取り出せるように準備しておくのも、必要だなと思いました。いまは意味がわからなくても、「誰が何を気にするか」という種は残しておく。あとから経験が追いついたときに、初めてつながります。

だから、観察できる距離に先輩がいることが大事になります。離れすぎていると、観察そのものが成立しません。PR の意図が読み取れません。指摘の背景にある経験が、見えません。


教育の観点では、業界歴や年齢が近いことは意味がある

ここまでの話をまとめると、新人と先輩の距離感は、業界歴や年齢が近いという点が、ある意味で教育の観点では大事だと思っています。

近いと、同じような壁を比較的最近乗り越えています。だから、いま躓いているポイントに共感しやすくなります。「昔はこうだった」ではなく、「去年自分が止まっていた場所」として話せます。言葉の解像度が合いやすいです。

遠い先輩は、全体の見通しやキャリアの話には向いています。ただ、日々のコードの書き方や、今日明日のタスクの進め方を教える役としては、「少し上」の方が機能しやすい場面が多い気がします。

言葉にしなくても通じる関係は、ゴールのように見えます。でも教育の入口ではありません。入口にあるのは、観察できる距離と、話が通じるくらいの経験差です。そこを飛ばして「察してほしい」になると、新人側は何を見ればいいかわからなくなります。


まとめ

  • 新人教育で大事なのは、察することより、観察できる距離に誰がいるか
  • 少し上の先輩が面倒を見る風習には、観察と共感のしやすさという合理性がある
  • 離れすぎると、世代差で「何を話すべきか」がわからなくなり、多くの新人は年上との会話自体が難しい
  • 「普通に話せる」のは経験からの自信で、最初からできる人は少ない
  • プログラミングは、先輩の PR や「このお客様はここを気にする」といった属人情報も含めて観察し、片隅に残しておくことが大事
  • 教育の観点では、業界歴や年齢が近い先輩の存在は、距離感として意味がある

完璧な距離は、現場ごとに違います。全員に同じメンター像を当てはめる必要もありません。ただ、「誰が教えるか」を決めるときに、スキルの高さだけ見て遠い人をつけるのではなく、いまの新人から見て観察できる距離にいるかも見たいところです。夢で浮かんだ「以心伝心」は、その距離で一緒に走ったあとに、少しずつ生まれてくるものなのかもしれません。