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すべてがFになる — 時間とスピード、人のボトルネック

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タイトルは森博嗣さんの『すべてがFになる』から借りています。小説では、研究所のシステムが16進数で時間をカウントし、「FFFF」(65535)に達した瞬間に強制終了する罠が仕込まれていました。すべてがFになる、その一瞬を狙う話です。

この記事で扱うのは犯行の手口ではなく、時間の話です。スピードを上げたいのに、どこかで止まる。リモートワーク、AI、意思決定。文脈はいくつもあるが、止まる場所の多くは人だ。時間のコントロール、法定速度のような定量目標、人が渡すコンテキスト。いずれも「Fに達するまでのカウント」がどこで止まるか、という話に通じると感じている。


オンラインになると、時間のコントロールが難しくなる

リモートワークが当たり前になるほど、時間をコントロールする力が問われるようになったと感じています。

オフィスにいた頃は、就業時間内なら「ちょっといいか?」と声をかけて、数分で話が終わることも珍しくなかった。相手が席にいれば、カレンダーを開かなくても会話は始まれた。

オンラインになると、それが成立しにくくなる。「今、ミーティングできる?」と聞いても、すぐには返ってこない。相手の予定を確認して、空いている時間帯を探して、リンクを送る。そこまでやって初めて話が始まる。短い確認のためだけに、15分枠を取ることも珍しくない。

話の中身が重いわけではないのに、会話を始めるまでのコストが上がる。これは地味だが、積み重なると大きい。


フルリモート10年。止まる理由は人それぞれ

自分はフルリモート前提で、もう10年近く仕事をしている。出社が当たり前だった時代は、遠い昔の話のように感じる。

その間に見えてきたのは、止まる理由が人によってまったく違うということだ。

「今日はだめです」という返事も珍しくない。体調が優れない日もある。カレンダーが別のミーティングで埋まっている、今は手が離せない、というケースも多い。

どれも筋の通った理由だ。悪意があるわけではない。ただ、結果として意思決定のスピードに影響する。人がボトルネックになる、ということだ。


ボトルネックは移り変わる。中身はいつも人

いまの現場では、ボトルネックがコードの実装から、人が渡すコンテキストへ移った、と言われることがある。その前は、人のレビューがボトルネックだった。

Anthropic の Thariq 氏(Claude Code の開発者)は、Fable 世代のモデルについて「賢すぎて、人間側の指示の品質がボトルネックになる初めてのモデル」と述べている。『A Field Guide to Fable』 では、人間が渡す指示(地図)と、モデルが実際に扱うコードベースや制約(現地)とのギャップを「未知(unknowns)」として分解する手法が整理されている。日本語のまとめ記事でも、「地図は現地ではない」というフレーズが軸になっている。

AIが速く書けるようになっても、何を渡すかは人の仕事のままだ。指示が具体的すぎれば方針転換できず、曖昧すぎればベストプラクティスで穴埋めされる。言語化できていない前提が、そのままボトルネックになる。

どちらも根っこは同じで、人が起因して起きる問題だ。ツールが変わっても、詰まる場所の性質はあまり変わらない。

ここで大事なのは、ボトルネックが「誰かの怠慢」ではなく、構造として生まれているという見方だと思っている。リモートであること、非同期であること、各人に別の事情があること。それらが重なって、人が関わる箇所で流れが止まりやすくなる。


スピードは感覚値だから、法定速度が要る

「もっとスピードを上げろ」と言われることもある。ただ、スピードは人によって感覚値になりがちだ。

60キロで走っている車を、速いと感じる人もいれば、遅いと感じる人もいる。同じ速度でも、評価はばらつく。スピードと言うなら、定量的に明確に打ち出さなければならない、と自分は感じている。

たとえるなら、法定速度のようなものだ。どのくらいが「早い」とされているのか。法定速度の位置に達していなければ、「スピードが上がった」というメトリクスは取れない。感覚だけで「速くなった」と言っても、チーム内で認識が揃わない。

だから、明確に早くするためのスピードの定義と、人がボトルネックになっていてうまく立ち回れない、という話はセットだと思っている。目標速度を決めずに「もっと早く」と言い続けても、何が改善されたのか測れない。逆に、メトリクスだけ決めて人の事情を無視しても、現場は回らない。

そのうえで、何をもってスピードなのか。何が原因で遅いのかを見極めるのも仕事だと感じている。遅いのは特定の人のせいなのか。それとも組織の構造の問題なのか。切り分けがつかないまま「もっと早く」と言い続けても、手が打てない。

仕組みで解決できるなら、そうするべきだ。ルールを変える、非同期を前提にする、判断権限を下ろす。やりようはある。しかも、いまの時代はそれを試すコストが低い。小さく試して、うまくいけば広げる。うまくいかなければやめる。AIツールの導入も同じで、一度決めたら十年かけて浸透させる、という時代ではなくなった。


AIは早くなった。人間同士のコストは、まだ難しい

ただ、ここだけははっきりしている。AIで作るスピードが上がった以上に、人間同士のコミュニケーションコストによるボトルネックを改善するのは難しい

コードはAIに書かせればいい。プロトタイプも数分で出る。昔は動かして、コードを検証して、挙動を理解する、という流れだった。いまはちょっと試して、考えてみる、という回し方に変わったような気がする。作る側のスピードは確かに上がった。

ただ、「ちょっと確認したい」「この判断、どう思う?」が相手の都合を待つ構造は、ツールの進化だけでは消えない。自分で試せる範囲は広がったが、人に聞く部分は別の話だ。

いま悩んでいることが改善するには、マインドの民主化が必要なのではないか、と思っている。一部の人だけが「AIで速く作れる」世界を知っていて、組織全体の前提が追いついていない。もしかしたら、技術のほうが早すぎて、組織や人間がついてこれていないのかもしれない。


スマホが当たり前になるまでの、あの感覚

スマートフォンが一般的になってから、もう10年以上経っている。インターネットが当たり前になったときと似た感覚がある。最初は「こんなに便利なのに、なぜみんな使わないの?」と思う。時間が経つと、使わないほうが不便になる。当たり前が反転する。

新しいものを試したい自分にとっては、一般的になるまでが遅く感じることが多い。iPhoneが日本に来たとき(2009年ごろ?)、即買いに行った記憶がある。「こんなに便利なのに」と思った。ただ、当時はモバイルの外でのインターネット環境が整っていなかった。便利さの問題ではなく、物理的な障壁だったのではないか、と今なら思う。

AIで誰もが簡単にものを作れるようになったこと自体は、すごいことだ。ただ、人や組織がその環境に適応するスピードは、人によってまったく違う。iPhoneのときと同じ構図が、いまもう一度起きている気がする。

それでも、認識を揃えることはできる。使い方を共有する、小さな成功事例を見せる、非同期で回せる部分を切り出す。一般的になれば当たり前になる。それは至極当然に起きることだ。問題は、その「一般的になるまで」をどう過ごすか。

強制的にこちら側に引き込むか。待つか。自分のペースで走り続けて、あとから追いついてもらうか。正解はひとつではない。ただ、引き込もうとするかどうかは、覚悟の問題でもある。


まとめ

  • オンラインでは「ちょっといい?」が成立しにくく、会話を始めるコストが上がる
  • 止まる理由は人それぞれで、どれも筋は通っている。それでも意思決定のスピードには効く
  • ボトルネックはレビューから人が渡すコンテキストへ移ったが、根っこは人が関わる構造
  • スピードは感覚値になりがち。法定速度のような定量目標がないと、改善は測れない
  • 何が遅いのかを見極めるのも仕事。人の問題か組織の問題かを切り分け、仕組みで試す
  • AIは早くなったが、人間同士のコミュニケーションコストは別問題。マインドの民主化がないと改善しない
  • 技術が先に走り、組織が追いつくまでの時間差。スマホの普及と同じ感覚がある

すべてがFになる。小説では、時間のカウンタが限界に達してシステムが止まる瞬間だった。仕事でも似たことが起きる。速く進めたいのに、人の都合や判断のところでフローが止まる。これからしばらくは、その「どこで止まるか」を意識しながら仕事をしていきたい。意思決定の重要性で書いた「スピードと明確さ」の話とも重なる部分がある。次に何を測るか、どこまでを非同期で回すか。認識をどう揃えるか。そこを決めないと、人がボトルネックのまま走り続けることになる。


参考リンク